「神は乗り越えられる試練しか与えない」「天は自ら助くる者を助く」の本当のところ

NS642_rasubegasunoyama_TP_V.jpg

手短に書きますが、

「天は自ら助くる者を助く」ってのは聖書の言葉じゃないそうです。

サミュエル・スマイルズの「自助論」の序文らしいです。

読んだことないけどね。

こういう、「信念の魔術」でも「ボロ着のディック」でもエミール・クーエの本とかでもなんでもいいけど、

いわゆる古い自己啓発本ってのはまあ、

しつこく残ってるけど、

基本的にテキトーですからね。


よーく考えれば、矛盾だらけだったり、ご都合主義、自分勝手で、お気楽すぎなんですよね・・・。

だいたい、ヴィクトリア朝時代の自助精神なんてのは、

貴族はなぜ金持ちで、労働者はなぜ貧乏か?それは努力の差だ」って

言う感じでしょ。

ま、出典なしですけどね。

疑問に思ったら勝手に調べてちょ。

ロンドンが江戸よりはるかに不潔だったのも、この辺の精神が反映されてたんじゃねーかなぁ。

////////////////////

それはそうと次、

「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉、

コレは聖書です。

新約の第一コリント10章だとか。

以前、なんか障害者の人が叫んでたのをどっかで見て

「いいねー」とか思って、心に残ってたんですが、

この第一コリント10をよくよく読んでみると、

知ってる人は知っている、旧約聖書の出エジプトの話が書いてあるんですね。

出エジプトの途中で偶像を作ったり文句ぶーぶー言い出す人の話が書いてあるんですね。

そこでその後にこの、「神は乗り越えられる試練しか与えない」との言葉が出るんですが、

続けて、「だから偶像崇拝するな」という話になるんですね。

それがこの話の結論なのであって、

つまりもともと、偶像崇拝禁止が主題なんですね。

なんかこうなると、現代の我々が

自分の人生に照らし合わせるのもどうなんでしょうか?

ユダヤ人やクリスチャンが、出エジプトを読んで、

「自分の中の出エジプト」を見るのは良いと思うんですが、

神道と仏教をごちゃまぜにしてるタイプの日本人にとって、

「神は乗り越えられる試練しか与えない」って言葉は、

厳密に言えば的外れですよね。

そもそも神を信仰してないし。

旅行で大仏拝んじゃったりしてるし。

//////////////////

まあ何がいいたいかというと、

よくある、「この言葉のほんとうの意味は?」とか「この言葉の起源は?」的な投稿をしただけなのと、

「信仰心がない人が軽々しく天だとか神だとかの言葉を使うもんじゃねーよ」、

というだけです。

あ、あと、

この手の言葉を勝手に使いまわしてる人がたくさんいるんですよね~。

ほんとね、書く前に少し検索するとか、聖書くらい取り寄せて読めよといいたいね。

そう言うのに限って大学教授とかなんかだったりすんだわ。

(下手すりゃ、自助論を女性の社会進出の話にひっくるめたり・・・。ヴィクトリア朝時代の女性なんて、どんな扱いでしたかね??。)

おわり。

この記事へのコメント